監督・コーチ|京都アストドリームス|日本女子プロ野球機構 GPB45

【 経 歴 】
兵庫県氷上郡青垣町(現:丹波市)出身。柏原高校から新日鐵広畑を経て、1971年のドラフト1位で近鉄バファローズに入団。1974年に外野手に転向しレギュラーとなった。1978年には打率.354の好成績で首位打者を獲得。1979年の日本シリーズの「江夏の21球」では江夏豊と対戦した打者の一人。1982年に、33歳で現役引退。引退後は、野球評論家、野球解説者、近鉄のスカウト、打撃コーチ、監督、阪神タイガースの打撃コーチ、西武ライオンズの打撃コーチ、中日ドラゴンズの打撃コーチ、監督代行、韓国の三星ライオンズの打撃コーチ、シカゴカブスのコーチを務めた。

【 コメント 】
思いもよらぬ要請でした。近鉄バファローズ時代からの盟友、太田幸司氏からの誘いでした。 「ドリームスを打てるチームにしてくれ!」男子のプロ野球界でも打って勝てるチームはあまりなく、投手力が勝利の8割を握っていると言っても過言ではありません。しかし私は、あの“いてまえ打線”の一員でした。打ちまくって「女子でもここまで強く打てるのか?!」というチームづくりを目指します。選手・指導者一丸となって、勢いのあるチームを作り、勝ちまくりたいと思います。 今年の京都アストドリームスにご期待下さい。よっしゃ!よっしゃ!よっしゃ!でいきます!!

コーチ
川口 知哉
川口 知哉
【 経 歴 】
平安高校出身。1997年、高校3年時に春の選抜大会と夏の甲子園大会にエースピッチャー兼4番打者 として出場。140km台の直球と落差の大きいカーブが武器で「西のドクターK」と呼ばれた。春はベスト8で 敗れたが、夏は同校を準優勝へと導いた。その年のドラフト会議で4球団から1位指名を受け、 オリックスへ入団。引退後は京都府内で住宅の外装関係に従事し、その傍ら少年野球などアマチュア野球 の指導にも参加している。

【 コメント 】
女子野球選手には非常に大きな可能性があります。コーチとして、打者ではフェンスオーバーできる選手に、投手では現状120km前後の球速の選手をトレーニングや日々の練習で130km、140kmが出せる選手に育成していきたいと思います。また、自分自身がプロ野球選手時代に挫折や苦労を経験した分、選手に対しては精神的な部分のサポートも行って参ります。この女子プロ野球リーグを必ず成功させ、女子野球界の発展に貢献していきたいと思いますので、応援よろしくお願いいたします。